おいらーくブログ

おじさん、5月18・19日の東北にいた期間中、公式でらーめんを4食

たべたのですが、前沢サービスエリアでの〔盛岡冷麺〕と〔前沢醤油らーめん〕以外に、〔宮古らーめん〕と〔釜石醤油らーめん〕を食しました。

 

これについて、少々語りたいのです。

aidaホーム長のお友達が岩手県宮古にいらっしゃって、そのご夫妻がわざわざ大槌まで再会に来てくれました。

その時のお土産が、魚介系のだしで有名な〔宮古らーめん〕です。

塩味で、スープが澄み渡り細めんの割りにこしのある麺でした。

 

そして、翌日

朝6時におじさんの携帯電話がなり、aidaホーム長から

「釜石駅横の市場では、朝7時から食堂が開いていて、今日はこの市場開設10周年のイベントで全品50円引きです。おじさん、これを食べなくてはいけません。」という連絡をしてくれたのです。

(朝早く、釜石駅周辺を散歩

したと自慢げでもありましたので、

おじさんは、朝4時半

から6時まで釜石市内を散策し

港まで行き、

ついでに仮設飲み屋街

まで行って来たとやり返してあげました)

 

で、そこの食堂では、〔釜石醤油らーめん〕を

こちらもあっさり系なのですが、おじさん的には、コクがたりませんでした・・・少々残念

ここでは、柴○センター長が食べた、〔麻婆らーめん〕がとても美味しかったと言っていました。

釜石に行かれた際には、お試しを・・・

 

これで公式4食ですが、札幌の自宅に帰ってきても誰も居ず、

なんとおじさん、冷蔵庫から生麺を取りだし硬めに茹で上げ、冷たい氷水でさあっと締め上げ、

適当に斬ったトマトと千切りしたキュウリ、

そして冷やしラーメンのたれに追加で酢と顆粒の中華風だしを混ぜ合わせ食べてしまいました。(からしと千切り紅しょうがを忘れてはいません)

ですから、公式4食、外1食の合計5食の完食でした。

 

 

《閑 話》

aidaホーム長のお友達が宮古から大槌町にご夫婦で会いに来られた時、

aidaホーム長 喜びのあまりはしゃぎ過ぎて、顔面から硬い砂利の道路に打ちつけ、鼻と唇からいっぱい血がでています。

歯も何本かぐらついているようです。

 

メガネも曲がったままで、おじさんの処に来て、

aidaホーム長:おじさんにむかって、「怪我をしました」

おじさん:「誰が?」

aidaホーム長:「私です」と半べそ状態です。

おじさん:「えっ・・」

aidaホーム長:おじさんに口の回りを隠していたティッシュを外し、血だらけの顔を見せます。

おじさん:「大丈夫?」と聞くと

aidaホーム長:「大丈夫じゃない!」と

おじさん:なんと、「プゥット」噴きだしてしまいました。

だって、このTPO(時、場所、状況)では、さすがに拙いでしょう。。。

というお話ですが、みなさん、旅の時は、このなんともユニークで愛らしいaidaホーム長を是非お誘いください!旅が何倍にも楽しくなりますこと請け合いです。

~その③:ある保育士さんの話し~

 

おじさん、岡○さんの隣だったので、「保育園の子供達は全員無事だったのですか」と聞いたところ・・・・

 

岡○さんは、静かに語り始めました。

地震の時は、園児みんな大丈夫だったのですが、その後ある園児におばあさんが迎えにきて、一緒に家族を探しに行ってその後波にさらわれ、未だに遺体が見つからない子がいたそうです。

 

その園児が夢にでてきては、「寒いょ、暗いょ」と悲しげに言うのだそうです。

 

また、仮設住宅では、天井が低く、また断熱もしかっり施されていないため(ご自身も家が津波で流され、お子さん二人と仮設住宅でお過ごしです)、夏は朝から部屋の中が30℃にもなり、湿気も酷く、配給された布団・毛布もすぐカビたそうです。

 

お年寄りにとっては、とても辛い生活環境なので、岡○さんは、自分の休みを利用してお世話や楽しみの機会を設けているそうです。

 

BBQが終わり、おじさん食器の洗い物やごみを片付け終わり会場に戻ると、

おいらーく他の職員全員(夢村の職員さんはみんな片付け作業をしていました。念のため・・)片付けもしないで、岡○さんの話しをず~っと聞いているのです。

 

おじさん、内心・む~っとしたのですが、

次の日、あぁ~岡○さんも話を聞いてくれる人がいてくれることで、少しは癒されているのだと合点したのです。

(職員のみなさん、おじさん心狭く申し訳ありませんでした・ゴメンです)

 

そして、復興も遅れに遅れているけど、いつかまたこの地にこれたらなと、

少しでも話を聞くことができたらなと、有志一同思ったことでしょう。

(但し、あの膨大な復興予算はいったい何に使われたのでしょう。現場を見るに許しがたい!)

 

みなさんも是非機会をつくってお出でください。

 

最後ですが、

帰り道は、釜石⇒(釜石の港です。こんなに静かな海が荒れ狂ったのですね)

釜石の観音様もその時、手を合わせ苦悶の涙をながされたことでしょう。

三陸⇒大船渡⇒陸前高田⇒気仙沼⇒石巻を通って

仙台に着いたのですが、いずこも瓦礫の山でした。

 

ある物にはシートに覆われ、ある物ははだかのままです。

でも、瓦礫がその種類・種類できちんと仕分けされていました。

 

ここに、日本人の清潔感と我慢強さ、そして一度決まったら、

弛まない継続する力を、おじさんは感じました。

 

たった1日です。

「何を判った気になっとる!」と一喝されるかも知れませんが、

来ないことには話しの途につきません。

 

~その②:大槌町での出会い~

 

子共夢ハウス大槌では、おじさん達が着いた日には8人位の子供達が、ここに集っていました。

子供といっても、小学生から中学生、そして高校1年生の女の子もいました。

男の子達は、藤原先生や夢村の宮本さんを引っ張り出して鬼ごっこやサッカーを、

中学生の女の子二人は、ハムスターを水洗いして紙の巣箱で飼っていました。

高校生の女の子は、スタッフに会いに来たようなのですが、スタッフが町の寄り合いに行っていると言うので、何かとても不安そうな様子でした。

ここにいる子供達には、今回の震災で身内の誰か彼かが亡くなったり、震災後の仮設住宅での生活環境の中、夫々問題や悩みがあるそうです。

但し、それも後から知ったことで、当初はみんな元気な普通の子供達におじさんには見えました・・です。

おじさん達一行、藤原先生の身体のことや、ここのスタッフを少しでも慰労したく、荷物運びやBBQの準備を始めました。

ところが、

夜になり、札幌から持ってきた食材でBBQをしている時に、素晴らしい方達に出会ったのです。(これも藤原先生との出会いが結びつけてくれた縁です)

まずは、ここで毎日寝泊りして、子供達を見守る吉○さん。

この方は、世界中を旅行していて、特にインドでの滞在が長かったらしいのですが、自ら子供夢ハウス大槌の準備室長をかってでて、現地のスッタフ1名とたった二人で子供達への支援を志す、本当に柔和な風情を醸しだす方でした。

(この方の口癖は、子供達がなにをやっていても・・これもリハビリです)

おもかげ復元師の笹原留似子さんが、このBBQの会に参加してくれるというので、是非会いたいと着てくれた

地元で保育士をしている岡○さんは、初めて会うおじさん達のため、いっぱい差し入れを持って着てくれました。

岡○さん、貴方が作ってくれた「特製のジャコと高菜おにぎり」と「もやしの芽をひとつ一つ剥いて作ってくれたサラダ」そして、旬のめかぶはとても美味しかったです。

また、女性スタッフの方は「彩り鮮やかなビーフンのサラダ」と「美味しいタルタルソースがかかったオードブル」を持ってきてくれたのです。

おじさん達一行が慰問にきたのに本末転倒の状態ですが、貴方達の優しさに心から感謝です。

夜遅く駆けつけてくれた笹原さんは、わざわざ北上の方から、車を飛ばし夜の8時頃、手作りスポンジケーキを差し入れてくれました。

生クリームが程よい甘さであまいものが苦手のおじさんも美味しくいただきました。

(実は、笹原さんこの日は子供さん達の運動会で、準備やあと片付けで大変お疲れだったのにわざわざ来てくれたのでした)

いろんな話をしました。

たまたま、おじさん 岡○さんの隣だったので、保育園の子供達は全員無事だったのですかと聞いたところ・・・・

その③で