おいらーくブログ

有限会社 おいらーく O藤さんの紹介とその事例発表をここに掲載しようと思います。

O藤さんは、当社が最初に有料老人ホームを立ち上げた時の初代ホーム長として採用されました。当社は、約8年前介護付の有料老人ホームを東区で初めて開設しましたが、この業態のことは右も左もわかりません。

また、O藤さん自身ケアマネ資格を取ったばかりですし、それまでは病院で医療度の高い患者さんのお世話の仕事はしてきましたが、介護現場での実務はそれ程経験もありません。

しかし期するものがあったのでしょう。当時、58歳。

管理者としての見識、器みたいものをしっかり持っていたように思います。

秘めた原石とでもいうのでしょうか。(ちょっと秘めた原石のわりに遅咲き過ぎるきらいはありましたが)

その方が、民介協の事例発表した内容をご紹介します。

 

伝える~「手紙」(私はまた人間の心に戻れた!)

 

私は、平成○○年から おいらーくの住宅の管理者として勤務している。

入社以来、研修に参加して感じたことを、入居者様やご家族様に手紙でお伝えしている。

平成○○年の三好春樹先生の研修がきっかけだった。

初めは、パソコンで打ったが、手書きを勧められ、手書きで書きはじめた。

1枚の手紙を、職員と私とで書いた時期もある。

「いつも有難うございます」という家族様からの声が返ってきた。手紙を読んでくれているとわかった。

人事異動でその職場を離れたが、そこでは現在もこの手紙を続けている。

私は、平成○○年新規高齢者住宅のホーム長となった。11月は、「ご入居への感謝と一緒に楽しい温かい住まいを」との挨拶文を同封。この住宅は、住宅での介護業務はなく、手紙もここでは必要がないと思っていた。ただ、20年12月は、家賃等の引落不能の連絡と、年末であった為、「来る21年がよいお年となりますように」と手紙を書いた。だから1月は、手紙を書かなかった。すると、入居の方々から会うたびに手紙が入っていないと言われた。その時、手紙を待っている方がいるとわかり、翌月から、再び書き始めた。

1年ほど経過したある日、入居の方が「幸福を運ぶ手紙」と書いて事務所に来た。筆で書いてほしいと言われ、筆ペンで書くと、毎月の手紙をファイルしていて、その表紙にすると言った。ファイルしていることに、大変ビックリした。私は、介護の現場に直接係わっていないが、いつの間にかこの手紙は、お客様と私をつなぐパイプ役になっていた。 

昨年8月、当社グループのフォーラムでの感動を、手紙にした。

樋口了一さんの歌との出会いがあった。

「手紙」という詩は知っていたが、歌(メロディー)とともに 語られる言葉の一つ一つが私の心に沁みこんできて、聴いていて涙が出て止まらなかった。私は、その感じたままを 手紙に書いた。

『歌のもつ「力」は、本当に素晴らしい。この感動を独り占めにはできない。

樋口さんのCDを買って”○○の皆様へ”とサインをいただいた。今月は、このサインと「手紙」の詩を皆様に贈る。CDをご希望の方は、私のところまでお越しください。一緒に涙を流してみませんか・・・』

それから間もなく。Aさんから、素晴らしいお手紙を有難うと声をかけられた。

「私は人間じゃないとずっと思っていた。高校生だった孫が不治の病にかかり突然死んだ時、自分より先に孫が逝くなんて本当に信じられず、悲しくて泣いた。すると次は、まさかと思っていた娘婿に死なれた。・・中略・・・本当にいろいろなことがあり、涙も枯れ果てて涙を流すことなどもうない! と思っていた。ところが、この「手紙」の詩を読んでいだら、知らぬ間に、涙があふれ出てきて止まらなくなった・・・

その時思わず、あぁ!私はまた人間の心に戻れた!と思って嬉しくなった・。」

お客様は、いろいろな形でのコミュニケーションの場を求めていると強く感じている。

これからも、手紙を通して心のキャッチボールを続けていきたい。

 

当社は、人と人の出会いを大切していこうと思っています。また、採用時に履歴書や年齢だけでは絶対判断しないとも考えております。

このような事がたくさんあるからです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です