前回も書きましたが、広島で活き・往く 暮らしを考える 小規模多機能ケア全国セミナーに参加してきました。
おじさんは『介護者が家族の死と向き合うということ』の分科会に参加したのですが、
岡原 仁志(おかはら ひとし)おげんきクリニック(山口県)院長と中矢 暁美(なかや あけみ)託老所あんき(愛知県)代表の講演を聴いて、死生観を根底から覆えさせられました。
○岡原 仁志さんは、山口県・大島が地元で、ここで訪問診療をしている方です。
信念は、『最後』を『在宅』で迎えようや、そして必ず来る道なので『最後を患者さんもその家族も楽しもう』です。
そして、『ハグ』と『ユーモア』を添えた緩和医療とその後の家族へのケアの実践です。
「死を迎える=壮絶な苦痛」を「死を迎える=楽しく笑える」に変えられることが果たして可能なのか。
ここに3枚の資料を添付しますが、特に感動したのが、白血病の男の子の死をまじかにして、家族へ送る言葉です。おじさんこれにはまいりました。
また、日本人の『あの世』への死生観
死を迎える本人と家族が新たな家族を構築するための岡原 仁志先生の志です。
そして、次なる課題
「ひとり、家で死ぬことってできるのでしょうか?」
または、「ひとりでも家で過ごしたいと、ひとりでも家で死にたいは=ではない」という矛盾を克服するには、家族だけではなりたたない(独居老人が多い現実)状況で、家族を越えた「地域」で生を、そして死を、抱きしめる取り組みでした。
○中矢 暁美さんは、特養施設の看護師として勤務し人間として当たり前の恩恵・尊厳が守られないことへの思いから数々の改革を実行してきたが、この施設に自分の親を入所させられるかと問うた時、入れるのはいやだと考え「託老所あんき」設立
「あんき」とは松山弁で「気楽」という意味
おじさんの看取りの概念とは、違っています。茶の間で死を迎えるような感じでかまえがないのです。
また、この施設で長年介護経験をもつ責任者の母親(認知)と祖母が託老所あんきに入所して、祖母がかわり果てた娘(責任者の母)を娘と認めないジレンマや責任者の祖母の死が直前となった時、孫である責任者の長年の経験も身内に対して激しく動揺する姿(死の直前になって救急車を呼ぼうと訴えた)や、最後に母と祖母が同室で寝泊りした時、祖母が母の手を握っていたなどの隠れて観察した様子などもまじえての講演に覚悟という言葉がよぎりました。
最後に、死というものを身近なものとして受入れる、また死を迎えて悲しまない。
これがおじさんの中にもスーット入ってきた貴重な経験でした。
その後、おじさんを含めおいらーく職員7名は、それぞれの分科会での感激を語り明かしました。とさ